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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 熊野市百科大事典:熊野灘の捕鯨  < くまのしひゃっかだいじてん:くまのなだほげい >
東紀州百科事典

ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 熊野市百科大事典:熊野灘の捕鯨  < くまのしひゃっかだいじてん:くまのなだほげい > < 熊野市(旧熊野市、旧紀和町) >
熊野灘の鯨に関するもっとも古い記事は、長元8年(1035)の、「牟婁郡有馬村に大魚上がる。長4丈8尺、油300樽を得る」という書き上げで、 「熊野年代記」 にあります。明らかに鯨が取れたという記事ですが、これは、しかし、捕鯨ではなく鯨がうち上げられるかして、たまたま獲れたと思われます。

組織的な捕鯨としては、太地(和歌山県太地町)で1600年頃からの記録があります。なにせ、鯨は大きいので、鯨方とか鯨組とか言われる200人から300人の大組織で捕鯨が行われました。鯨を捕る、解体する、処理をする、いずれにも多くの人数を必要とする一大産業でした。

何時でも何処でもそれほどの大組織であったのかどうかは分かりませんが、今の南牟婁郡、熊野市、尾鷲市、北牟婁郡の近辺では、元文5年(1740)に遊木、甫母(いずれも熊野市)、また寛文頃(1660頃)から、 二木島(熊野市)、九木、須賀利(いずれも尾鷲市)、海野(紀伊長島町)等に鯨組があった記録があります。
しかしながら、この辺はリアス式海岸で、何度も大津波に襲われていますので、資料は余り残っていません。二木島には、寛文11年(1671)の鯨三十三本供養塔(写真)があり、この頃には既に捕鯨が盛んであったことを証する貴重な資料です。
また、安永9年(1780)二木島の鯨船定には、二木島浦で6人、甫母浦で2人の船主の名前が見られ、 8-10艘で鯨組を結成していました。

梶賀浦 の捕鯨は、地元での組織です。しかし、明和6年(1769)には既に捕鯨が廃絶されています。はらそ祭りは、その後捕鯨を偲んで行われたものと言われます。大人数ですので採算は特に厳しかったと思われます。
梶賀の捕鯨の廃絶の少し前、宝暦4年(1754)に、紀州藩は藩営の鯨方を九木浦に置き、網取り漁法で捕鯨を始めました。200人位が働きました。しかし、梶賀の廃絶の一年後には不漁のため鯨方は閉鎖されてしまいました。藩営でも継続困難なほど捕鯨には資金が必要だったのです。
こうして、熊野の捕鯨は、江戸時代中期以降次第に衰えます。
明治に入って、明治40年(1905)に、二木島に、大日本捕鯨会社が設立されました。鯨から鯨油を主にとっていました。後に東洋捕鯨会社となり、大正4年(1915)まで操業しましたが、鯨の回遊が激減し廃業しました。
また、阿田和(現 御浜町阿田和)では、明治8年に捕鯨会社が設立され、年間8-9頭を捕獲したが、大正末期に不漁のため廃業しました。

江戸時代、鯨は魚に分類されてはいましたが、普通の魚ではないという認識はあったようです。鯨の胎児については、手厚く葬られています。
鯨からは、肉、骨、ひげ、油が取れ、余す所無く利用されました。
特に、鯨油は稲の害虫である「うんか」の駆除に広く使われました。坪田寛楽斎の 「晴雨日記(はるさめにっき)」 にも記事があります。

文久2年(1862)8月
2日 稲虫付に而新宮へ鯨油調に沢松遣る
(稲に虫が付いたので新宮へ鯨油をととのえるため沢松(人名)を遣いに出した)
4日 田へ鯨油入る
9日 田へ鯨油入る
13日 沢松新宮へ鯨油調(ととのえ)にやる


ちなみに、アメリカの捕鯨は、主に鯨の油を取るのが目的でした。鯨油は、燈火用の油として広く使われましたが、石油から灯油が出来るようになって、安い灯油に負け、捕鯨も採算が取れなくなって終わりました。
確かに、鯨は賢い動物ですし、捕らずにすめばそれに越した事はありません。しかし、今の捕鯨反対運動にはこのような歴史認識があるのか疑わしい。

データ
参考文献
  ・熊野市百科大事典
・「江戸時代 ひとづくり風土記」
・「熊野年代記」
・「晴雨日記(はるさめにっき)」
その他関連情報
  なし


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