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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 大昌寺の不動明王立像  < だいしょうじのふどうみょうおうりつぞう >
東紀州百科事典

ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 大昌寺の不動明王立像  < だいしょうじのふどうみょうおうりつぞう > < 紀北町(旧紀伊長島町、旧海山町) >
大昌寺の不動明王立像 紀伊長島町大原の大昌寺境内不動堂に安置されている不動明王は、弘法大師作との伝説で知られ、古来より広く信仰を集めてきた仏像である。
お前立ちは三尊形式をとっており、本尊は奥の厨子に安置されている。高さ約60cmの寄木造で、長剣を手に堂々たる威風である。製作年代は鎌倉時代ではないかとみられている。弘法伝説はさておき、故大西源一の鑑定によれば、鎌倉後期から室町時代にかけての作であるとのことであり、嘉永年間に一度京都で修理した記録が残されている。

大昌寺の不動明王立像
大昌寺の不動明王立像 大昌寺記文によれば、長徳三年(997年)出現となっているが、明治21年版の『北牟婁郡地誌』には「康正元年(1455年)当時の豪族荘司肥前なる者の邸に出現」となっている。いずれにしても、大昌寺の前身、大福寺が創建された明暦三年(1457年)よりかなり以前に、この不動明王を本尊とする堂が大原の地にあり、地域の人の信仰を集めていたことは事実である。

元永二年(記文には永久七年とあるが永久の年号は5年で終わり、改元された。西暦1119年)酉年の11月、ひとりの山伏がこの不動尊を盗もうと手にしたところ、体が硬直して倒れ、声も出ず、苦しんでいるところを住職の祈祷により救出されたと言う。

この不動像をこの地にもたらしたとされている荘司肥前(肥前の荘司との説もある)については、平家の落武者であり、平家水軍の軍船の守護神であったこの不動尊を奉じて、この地に落ちのびてきたという口碑が残されているばかりで確かな記録は何ひとつ現存しない。

大昌寺の不動明王立像
大昌寺の不動明王立像 ともあれ、この不動尊は海上交通さては交通全般の守護神として、漁業者などの間で今も昔と変わらぬ信仰を集めている。1月・5月・9月の28日、扉が開かれ本尊を直に拝することができる。昔はこの日に市が立ち並び、通りは大いに賑わい、不動市または千両市と呼ばれていた。今では市はなくなったが、昔と変わらず地域の人が多く参拝に訪れる。
参拝は随時。解説希望などのお問い合せは、紀伊長島町教育委員会まで。電話05974−7−1111

データ
参考文献
  紀伊長島町史
長島風土記
新長島風土記
紀伊長島町の文化財
その他関連情報
  紀伊長島大原在住 下總 晃 氏

関連リンク
大昌寺
大昌寺の不動堂
大昌寺の不動明王立像
かご不動の民話(表示されたページ左側の民話をクリック)


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