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六地蔵 <
ろくじぞう > |
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紀北町(旧紀伊長島町、旧海山町) > |
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紀伊長島町東長島地区、井の島の龍王山地蔵院境内の西隅に、六体の石仏が並んでいる。昔から延命子安地蔵として親しまれ、近隣の信仰を集めてきた六地蔵である。
徳川以前から、旧二郷村には呼崎に安応寺、井の島に竜蔵庵という二寺があったが、仏光寺二世風国大順が弟子に近隣の村々に十か所の末寺を開かせた際、他宗派であった二寺を廃し、新たに地蔵、養海の二寺を開いたものである(安応寺は元禄五年まで存在したとも聞く)。
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地蔵院は大順の弟子である全室によって寛文六年(1966)に閉山され、竜蔵庵の竜の字を山号に残して龍王山としたという。地蔵院の寺名の起こりはこの石仏からとも、また本堂に脇仏として安置されていた地蔵菩薩木像からとも言われているが、木像は昭和二十年の戦災で消失してしまった。
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開山当初の石仏は右から三番目の一番大きい一体だけであったとされ、他は時代を追って建立されて六地蔵となったもので、それぞれ宝暦(1751)、文政(1818)、嘉永(1848)等の年号が記されている。この中に宝暦九年の石仏で、了仙和尚代の碑文字が見られるものがある。了仙とは仏光寺伝「暦往諸師伝賛」の中に「宝暦十年庚辰十一月支院地蔵院了仙凶事有」と書かれている人物のことである。故西田益三の記録によれば凶事とは、賊に襲われ殺害されたものであると言う。つまり了仙和尚の死の前年に建立されたことになる。
また、この六地蔵の右横に、見事な庚申碑がある。元禄八年(1695)東嘉右衛門によって建立とあるが、年代の古さといい、大きさや三猿の構図といい、紀北地方にも数多い庚申碑の中でも、第一等のものである。
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参考文献 |
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紀伊長島町史 |
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その他関連情報 |
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なし |
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