熊野古道
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コース紹介
馬越峠コース

細い道を歩くやのはま道 細い道を歩くやのはま道
標識に従って左へ曲がって少し歩いてJRの高架をくぐる手前、右手に大人一人が通れるほどの細い道があります。これがかつての街道、案内標識も付いています。見逃さないように注意。
標識に従って、しばらくは民家の間を縫うように細い道が続きます。これが本当に旧熊野街道なのかと疑いたくなるような道ですが、尾鷲市の伝統行事「ヤーヤ祭り」のときに使われるのがこの道。祭りでは旧街道を歩いていくことになっているため、この道で間違いないそうです。

灰がま 雁木
農村地帯だった矢浜地区、今でも古い造りの農家が残っています。庭先に残っている灰がまや軒先にある雁木から、昔ながらのこの地域での生活ぶりがうかがえます。

やのはま道 と彫られた石 案内標識に従ってしばらく歩いていくと、この石のあるところで行き止まり。旧熊野街道は、ここから真っすぐに八鬼山越えの登り口へと続いていたそうですが、東邦石油という企業がここに進出してきたときにつぶされてしまいました。この石の向こう側には八鬼山が見えていますが、かつては田んぼや畑の間を道が通っていたのでしょう。

南北朝時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう) 「やのはま道」の石で右手に曲がって、すぐに道なりに左へ。この辺りも案内標識があるので従って歩いていくと、2車線の広い道路沿いにある小公園に出ます。ここに、南北朝時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が置かれています。

八鬼山越えの案内標識 宝篋印塔のある小公園は、国道42号から入ってきた道と矢浜からまっすぐ進んできた道の交差点。八鬼山の案内標識が立っているので、これに従って南の方へ進みます。

八鬼山越え 第1の町石? 八鬼山の案内標識がある交差点から、矢浜の方へ100mほど北のほうへ戻ったところに、永昌寺というお寺があります。ここにある欠けた石仏は、東邦石油が作られるときに掘り出されたもので、八鬼山越えに50体あった町石の一番最初のものではないかと言われています。時間があれば、少し戻って見ていくと良いでしょう。

矢ノ川を渡る 石油タンク沿いに歩く
左:八鬼山の案内標識に従って歩いていくと、左前方に大きな石油貯蔵タンクが並んでいます。それを眺めながら歩いていくと、矢ノ川橋で矢ノ川を越えます。
右:川を渡って突き当たりを左へ。石油タンク沿いに真っすぐ続く道をしばらく歩きます。右手を見上げると大きな石油貯蔵タンク、その向こうには八鬼山のふもとが見えます。

八鬼山越え登り口への分岐点 尾鷲節道標歌碑
左:石油タンク沿いにしばらく歩いていくと、八鬼山の案内標識が立っています。これを右へ上がっていくと、八鬼山越えの登り口へ。
右:八鬼山の案内標識の下にある、尾鷲節道標歌碑。八鬼山にまつわる悲恋を歌った尾鷲節の歌碑が刻まれた道標です。

大曽根浦駅へは、八鬼山の登り口へ行かずにまっすぐ直進。向井の集落を抜けてそのまましばらく直進します。小さなアップダウンを越えて歩いていくと、JRの高架をくぐって2車線の広い道路に合流。右へ曲がって海沿いに歩きます。1車線に狭くなるところで道なりに右のほうへ曲がっていくと、正面に線路の高架。これをくぐらずに道なりに左のほうへ曲がっていくと、すぐ右手に大曽根浦駅があります。

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