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熊野古道のみどころ
石畳|森林|
森林

人工林|自然林

林業発祥の地 尾鷲尾鷲ひのきの産地現在の林業文化的景観としての林業
(参照サイト)
 速水林業 http://www.re-forest.com/hayami/
 尾鷲市林業振興協議会 http://o-hinoki.mado.ne.jp/


林業発祥の地 尾鷲

 三重県東紀州地域の山は、スギやヒノキの人工林がかなりの部分を占めています。この地域の民有林における人工林と天然林の比率は、人工林:天然林=72:26であり、山の7割以上が人工林なのです。(平成11年の三重県林業統計書のデータによる。)
 熊野古道 伊勢路は、そういった人工林の中を通る部分が多いため、「ひのきの美しい林を通る石畳道」は伊勢路の代名詞にもなっています。
 馬越峠や八鬼山越えのある尾鷲市は、日本における林業発祥の地とも言われる林業のまちです。尾鷲市の林業の歴史をさかのぼると、1624年にスギやヒノキの人工植林が始まったとされています。今でも尾鷲市の名家として知られる土井家の先祖が、その最初の人だとされています。
ひのき林の中を通る馬越峠の石畳道
伊勢路の中でも最も美しいと言われる、馬越峠の石畳道。よく手入れされたヒノキ林の中を続いています。
 東紀州を訪れたことのある方なら分かると思いますが、リアス式海岸で海から山がそびえ立つようなこの地域には、田畑に適した平地があまりありません。かつては米で年貢を納めていましたが、この地域ではそれが難しかったはずです。そこで、この地域を治めていた紀州藩は、米の代わりに木材生産を奨励し、木材を年貢として納めさせたのだと言われています。

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尾鷲ひのきの産地

枝打ち作業の様子
まだ若いヒノキ林での枝打ち作業の様子。
(枝打ち:木材に不適な節の部分を小さくするため、不要な枝を払う作業。)
 日本における林業始まりの地とも言われる尾鷲と、その隣にある海山町・紀伊長島町では、ヒノキ材の生産が盛んです。この地域で生産されるヒノキは「尾鷲ひのき」というブランドになっていますが、1923年の関東大震災で「尾鷲ひのき」を柱材に使った家が倒壊しなかったことから、その名が全国に知られるようになりました。
 尾鷲ひのきの特徴は、年輪が緻密なことと赤みが強いことです。1haあたり6,000本も植える密植によって細長く真っすぐに生長し、早めの枝打ちや除間伐といった手間ひまを掛けた管理と、全国でも有数の多雨地帯、温暖な気候といった自然条件が加わり、こういった特徴を作り出すのです。
間伐作業の進むヒノキ林
より太く長く育てるため、除伐・間伐が行われます。画像は、間伐で切った木を積み上げて搬出する手前のところです。
熊野古道を歩いていると、こんな風景に出会うかもしれませんよ。
(間伐:主な木の生育を助けたり、採光をよくしたりするために、適当な間隔で木を伐採すること。)

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現在の日本の林業

2002年頃、手入れされていないスギ林の中を通る石畳道 尾鷲から始まったとも言われる林業、今では日本のいたるところで見ることができます。
 日本全国の山を見渡せば、昭和30年代の木材需要に応じて、無秩序に植林が行われました。その後、安い外国産木材の輸入によって木材価格が低迷すると、植えた木々が手入れされずに放置され、無惨な姿になっている人工林が全国で見られるようになりました。
 林業が盛んなここ東紀州でも、林業を取り巻く厳しい情勢が影響して、放置された暗い人工林が目立つようになってきました。
 荒れた人工林には、本来山が持っている水分を保持する機能や、生き物を育む能力がありません。ちょっとした雨で土砂災害が発生するなど、防災上も大きな課題となっています。
手入れされず、光の入らないスギ林 上の画像と左の画像は、2002年に観音道で撮影したもの。ちょっと曇った日だったのですが、それにしても暗いですね。
 古道沿いの人工林は、多くのお客さんが歩きに来るということで手入れされるようになりましたが、東紀州の山にもこういった暗い人工林が目立つようになっています。手入れをして木材を売っても、まとまったお金にならないのが現状なのです。
 人間が自然に手を加える以上は、適正に手入れをしていくことが求められます。木を植えるときには獣害除けの柵などを付け、下草を刈り、枝打ちをして、大きくなってきたら除伐・間伐をして・・・、それだけ人が手をかけて初めて、水分を保持する機能を有した人工林になるのです。何もしなければ、真っ暗で植物も生えない荒れ山になってしまいます。
 全国的に人工林の管理が問題となっている現在、海山町の速水林業、尾鷲市の市有林などは、適切に管理された森林として、FSC(Forest Stewardship Council)による認証を取得しています。FSCは、国際的な基準に基づいて適正に管理された森林であることの証明であり、東紀州には、天然の広葉樹林よりも豊かな生態系を持った人工林が存在しています。
手入れされた人工林
三浦峠の手入れされた人工林。ヒノキの根元には下草や他の木が生え、太陽の光が差し込みます。
上の手入れされていない人工林と比べると、違いがよく分かりますね。

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文化的景観としての林業

手入れされて、明るい人工林を歩く(三木峠) 徳川頼宣によって熊野古道が整備された江戸時代は、ちょうどこの地域で林業が始まった時代でもあります。人が手を加えてつくられてきたヒノキやスギの林と、その中を通る石畳道は、昔から林業の営みとともに存在してきた風景です。
 この地域に住む人が昔から生業としてきた林業によって守られてきた風景が、人工林の中を通る石畳道なのです。熊野古道沿いの人工林は、「紀伊山地の霊場と参詣道」を形成する重要な要素であり、まさに文化的景観と言うべきものなのです。
 また、熊野古道沿いの森林は世界遺産のバッファゾーンになっている部分も含めて、そのほとんどが個人所有です。一部の例外はありますが、生業としての林業によって文化的景観を守りながら、自分たちの山を他人が歩くことを受け容れてきてくれたのです。
 古道沿いで林業の作業が行われているのを見かけたら、運が良かったと思って眺めてみてください。熊野古道沿いの森林は切ってはならない森林ではなく、切って、植えて、手入れして・・・林業を適正に続けていくことで守られていくものなのです。

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