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熊野古道伊勢路シンポジウム
  〜これからの世界遺産熊野古道を考える〜   2005年3月8日
  開催趣旨
 三重県が地域住民と協働してつくった「熊野古道アクションプログラム」。策定から2年が経過し、その間に世界遺産登録といった情勢変化をふまえての改訂作業が進められています。改訂にあたっての方向性の確認、住民意見のくみ上げという趣旨で開催されたシンポジウムです。
 当日の議論の内容などをお伝えします。(※ページ作成者が聞き取った範囲内で記載しています。文責は東紀州ITコミュニティにあります。)
 なお、2004年7月に開催された宗田先生の講演と併せて見ていただくと、より深く理解できると思います。 →こちら

●●プログラム●●
 シンポジスト紹介
 シンポジストから一言
 シンポジスト討議
 感想
 (参考)アクションプログラムへのアンケート
シンポジウムの様子
 地元で古道の保全に関わっている住民、関心のある住民、行政など約120人が参加して、賑やかに行われました。

  シンポジスト紹介(当日の配布資料から抜粋・五十音順)
●池田 比早子(1952年尾鷲市生まれ)
NPO法人 海虹路(えころ)代表、フラワーデザイン講師。ひのきのカンナくずを使った「ひのきアート」により第12回ホビー大賞で文部化学大臣賞を受賞。熊野古道の保全や市街地の街並み整備について目を向けてもらうために、地場産品の「尾鷲ひのき」をキーとした観光体験プログラムづくりを行っている。
●植野 めぐみ(1980年津市生まれ)
プロのガイドを目指して修行中のフリーガイド。「熊野古道 語り部友の会」の最年少語り部として活躍するとともに、熊野古道全行程450kmを踏破した記録をもとに、ガイドマップを作成中。趣味の自転車で日本中を駆けめぐっている。
●小倉 肇(1935年紀伊長島町生まれ)
小中学校教員、三重県尾鷲教育事務所長、小中学校長を歴任、1995年から紀伊長島町教育長に就任。紀北教育研究所 所長、紀北民族研究会 会長、みえ熊野学研究会 運営委員長、熊野古道語り部友の会 顧問。主要論著「松尾芭蕉」「三重の民謡・たねまきごんべい」など。日本児童文学者協会会員。
●田中 利典(1955年京都府生まれ)
金峯山寺教学部長を経て、2001年金峯山寺修験本宗宗務総長、金峯山寺執行長に就任。現在、金峯山寺一山宝勝院及び京都府綾部市の林南院住職。全日本仏教会評議員、国際交流協会評議員、日本山岳修験学会評議員、吉野ユネスコ協会副会長。主要論著「修験道っておもしろい!」など。
●花尻 薫(1932年熊野市生まれ)
1953年より教職に就き、1992年熊野市立木本小学校長を最後に退職。熊野古道語り部友の会 会長、みえ熊野学研究会 運営副委員長、熊野の自然を考える会 代表、三重県文化財調査員、熊野市文化財専門員、環境庁自然公園指導員など。主要論著「熊野市史」・「御浜町の植物とくらし」・「熊野参詣道伊勢路の花々」など。
●速水 亨(1953年海山町生まれ)
1979年から家業の速水林業経営を始めた。2000年、日本で初めて国際的な森林認証・FSCを受け、林業に環境経営という視点から取り組んでいる。農林水産省林政審議会委員、(社)日本林業経営者協会副会長ほか多数の要職に就任。
●宗田 好弘(1956年静岡県生まれ) / コーディネーター
法政大学工学部建築学科卒業、同大学院を経てイタリア、ピサロ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学を専攻。歴史的都市保存計画、景観計画を研究。歴史都市再生政策の研究で工学博士。国際連合職員を経て、1993年から京都府立大学人間環境学部助教授に就任。現在、国際記念物遺跡会議(イコモス)理事、東京文化財研究所客員研究員、国立民族博物館共同研究員などに就任。

会場に並べられたひのきの道しるべ 会場の公民館ロビーには、シンポジストの池田さんが取り組む活動から、ひのきの間伐材を使って地元の小学生が作った道しるべが並べられていました。
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  シンポジストから一言
 シンポジストのみなさんから、自己紹介を兼ねて発言がありました。

(池田さん)
 尾鷲ひのきを使った取組、最近は学習プログラムを行政・学校と協力しながら作っていますが、そういった活動をする中で「人材育成」が非常に重要だと感じています。

(植野さん)
 学生時代にワンダーフォーゲルで縦走登山をしてきましたが、20歳で熊野古道を知って、全てを歩きました。縦走登山の始点と終点という世界ではなく、ふもとの集落にある文化など面的な広がりがあると感じています。
 今は、語り部友の会の会員として、またエコツーリズム研究会に所属して、プロのガイドを目指しています。

(小倉さん)
 これまで、紀伊長島町で民俗学などの研究を続けてきました。熊野古道については、東紀州活性化事業推進協議会が立ち上がったときから関わってきましたが、最近になってようやく「背景にある宗教的なものがあって、初めて評価される」ということを理解するに至りました。

(田中さん)
 世界遺産登録はスタートであって、ゴールではありません。このスタート地点において、自分が取り組むべきと考えている点を3つほど挙げてみますと、
 ・吉野大峯の持つ歴史性、聖地性といった価値を再確認すること
 ・大峯奥駆道と一体である修験道の考え方を広めること
 ・多くの人が訪れることで、大峯奥駆道の自然が破壊されていることへの取組
 一方、世界遺産登録に関連して各地へ講演、シンポジウムに行く中で感じているのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」には「日本の心がある」とよく言われていますが、「日本の心」がどういうものか本当にわかっているか、ということです。今日はこういった点についても触れられればと思います。

(花尻さん)
 伊勢路には、12の峠を守る団体と、230人の語り部がいます。伊勢路を支えてきたこの人たちの活動には、頭の下がる思いがします。そしてまた、道の傍らにある行き倒れ墓標へ花や一円玉を供えてくれる人たち、そういった人たちの支えがあって、初めて熊野古道があるということを忘れてはいけないと思います。
 これからの熊野古道を考えていくにあたって、アクションプログラムへの意見で、「守っていく」という視点がしっかり含まれていることは、これからの熊野古道を考えるにあたって、非常に心強いと思っています。

(速水さん)
 馬越峠、始神峠などの周辺に山を持っているのですが、自分の持っている山、育った山が世界に誇れるものを持っているとは、思いもよらなかったです。しかし最近思うのは、オーバーユースになってきていないか、ということです。すでに土道の部分はえぐれてしまっています。
 また、これからはモノとしての道だけでなく、「文化的なバッファゾーン」を広げていくことを考えています。それは、この地域のことが好きであることが重要なのはもちろんですが、自分たちの生活の利便性だけでなく、地域をどうすべきかという視点で自分たちのまちづくりに取り組むことだと思います。

(宗田さん)
 「紀伊山地の霊場と参詣道」では「文化的景観」が大切、つまり史跡として残すだけではないということなんですが、この点をもう少し詳しく話してみます
 まず「文化」というものですが、これは所有することができないものです。文化財は所有できても、文化財の価値は誰も所有することはできないということです。歴史上積み上げられてきたものを知っている、あるいは教えられて知っているということ、みんなが心の中でその価値を認めていることが文化的な価値です。
 単なる景色や自然の美しさだけではない文化、この伊勢路には何の文化、どんな文化があるのか、ということを理解することが大切だと思います。それはつまり、今ご紹介のあった語り部友の会であるとか、峠を守る団体が何のために活動するのか、というところにも関係することです。じゃあそれが何なのかをもう少し考えてみると、昔から伝えられてきたことをやっている、つまり「守っている」ということに文化があるのではないかと思います。
 今回、登録されたのはコアゾーンとバッファゾーンという限られた地域なのですが、これは文化的な価値を守るために最低限の部分ということです。
 この地域で昔から伝えられてきたことをやっている、そのみんなが共通して持っているものを見つけていく過程が必要です。みなさんが活動されている中で、「自分はこれを守っている」「自分はこれを守っていきたい」という無形の価値があるはずです。今日はそういったものについて、ぜひご自分の口から発言をしていただきたいと思います。
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