熊野古道
くまどこショッピングモール東紀州ほっとネットくまどこ
English

最新情報・イベント

古道掲示板

熊野古道を知る

 ●熊野古道とは
 ●歩く心得・注意
 ●世界遺産登録について
 ●動画で見る熊野古道

コース紹介

 ●コース紹介
 ●熊野古道のみどころ
 ●熊野古道写真集

ウォーキングレポ

熊野古道と共に

 ●地域・人々の紹介
 ●熊野古道グッズ
 ●お店・宿泊
 ●古道関連情報
 ●熊野古道リンク

古道レンタルマップ


トップページ >> イベント&ウォーキングレポート >> イベントレポート
イベント&ウォーキングレポート
イベントレポート
<<イベントレポート一覧へ戻る
世界遺産伊勢路セミナー 曼荼羅絵解き−伊勢から熊野へ  2006年1月28日
  内容 その2
(ページ作成者が聞き取ったメモに基づいてまとめた文章ですので、誤っている部分もあるかもしれません。配布された資料を画像で載せましたので、図を見ながら読んでいただくと分かりやすいと思います。)

●那智参詣曼荼羅図
(当日配布されたのは室町時代のもの。白黒ですがご覧ください。/ 文字なし(632kb) ・ 解説文字入り(593kb)
那智大社への参詣の様子を描いています。余談ですが、全国に40点ある熊野の参詣曼陀羅のうち、2点は新潟県の佐渡島にありますが、これには伝説があるのです。織田信長の娘が「本能寺の変」の後に熊野比丘尼になって、佐渡へたどり着いた、その人は絵解きもしていたのだろうが、佐渡島で遊郭を始めたというのです。佐渡島は金山で有名なところだから、金を掘っている人が外に出てきたときの遊び場として遊郭が大いに賑わったそうです。それで、その織田信長の娘と言い伝えられている人の供養が、ずっと佐渡島のその地域で伝統行事として行われてきたのです。面白い伝説ですが、おそらく同じようにいろんな話が参詣曼陀羅にはあって、全国各地で絵解きが行われていたのだと思います。現代であればテレビとか雑誌とかのバーチャル的な役割を、熊野比丘尼の絵解きが果たしていたのでしょう。そして同時に、参詣とはこうやってするのだという作法的な部分も伝えられていったのでしょう。
それでは絵解きに入りますが、時間もないので簡単に。
関所(図の右下)では、お金がないためか入れてもらえない巡礼者らしき人が、必至に頼み込んでいる姿や、ちょっと脇からこっそり通過しようとして捕まえられている人の姿が描かれています。
下の部分には海が描かれていて船が3艘浮かんでいます。今でも那智駅の前にある錦浜のところで、駅のすぐ近くにある浜の宮王子、補陀落山寺も描かれています。3艘のうち1艘は白い帆が張られていて、形がちょっと変わっていますが、これは補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼ばれる業に使われたもので、よく見ると帆には「南無阿弥陀仏」の文字があります。
補陀落渡海とは、帆の付いた船に僧を1人乗せて、ある程度沖まで引っ張っていってそのまま流してしまうというものです。どこへ着くのかは風や海流によって異なりますが、那智のあたりから流せば、黒潮に乗って東海や関東へと流れていったのかも知れません。なぜそんな無謀なことをしていたのかというと、海のはるか彼方には「阿弥陀の島」があると考えられていたからです。
どうして熊野という場所、紀伊半島でそんなことを考えたのか?それは世界地図を見てみるとわかります。ユーラシア大陸を真ん中にして東の方へ進んでいくと、ずっと続いてきた大陸が、中国、朝鮮半島、日本ときて、まさに紀伊半島のところで東の端っこになっていて、世界の一番東端が紀伊半島のように見えます。余談ですが、同じように西の方へ行ってみると、西の果てはスペイン、ポルトガル。ポルトガルのロカ岬には、「ここに地終わり 海始まる」という言葉が彫られた碑が立てられているそうです。
それで、陸地がそこで終わっている場所に立って、陸の向こうにある海を見ると何を考えるかというと、「海の向こう」を想像するんです。海の向こうにはきっと阿弥陀の島があるとか、そんな風に想像するから、それを目指して行ってみようとなります。世界地図という広い視点で見てみると、実は熊野も伊勢も紀伊半島にあって、陸地の東の端っこにあります。海の向こうへの境目が伊勢や熊野という捉え方もできて、ひとつの霊場として見ることができるように思います。
熊野詣は、平安時代の天皇や上皇が何回も多い人は何十回も行っています。2週間も都を空けて、なぜわざわざ熊野の地を目指したのか?実は、海の向こうを考えていて、東の端っこの熊野へ行けば海の向こうが見えるのではないか、向こうへ行けるのではないか、そんな風に思って、あえて熊野へ何回も行っていたのではないでしょうか。
話を戻して、図の左端の方で橋を渡っているところ、川から龍のようなものが体を出しています。那智の滝で花山天皇が修行して、龍から不老不死の薬をもらったという言い伝えがあって、それが描かれているのです。
那智の滝を見ると立ち上る炎が描かれていて、その下では誰かが抱きかかえられるように助けられています。これは、文悟という僧が那智の滝で修行をしていたときに死にそうになって、不動明王に助けられたという言い伝えが描かれているのです。その不動明王のシンボルとして炎が滝に描かれているが、今でも那智の大滝には133mもの巨大な不動明王がいるのだと言われています。他の那智参詣曼荼羅図の中には、明治時代の神仏分離の影響から、炎の部分が塗りつぶされているものもあります。
他にもいろいろあるけれど、今日は2時間足らずで3枚の絵解きをしなくてはいけないので、那智はこのくらいにして観心十界図へ。
 →その1 伊勢参詣曼陀羅図
その3 熊野観心十界図

▲このページのトップへ戻る



東紀州ほっとネット くまどこ
東紀州ITコミュニティ
三重県熊野市有馬町
E-MAIL:info@kumadoco.net
Copyright(C)2004 KUMADOCO.NET All Rights Reserved.