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 第6回 みえ熊野学フォーラム  2006年3月19日
 パネルディスカッションの参加者
左から順番に、小倉肇氏、久保田展弘氏、安食和宏氏、花尻薫氏。胸についているコサージュは、尾鷲市中井町のNPO法人海虹路(えころ)代表の池田さんによる、ひのきシート製の花。
  パネルディスカッション「世界遺産・熊野の風土と魅力を語る」
(以下の内容は、ページ作成者が聞き取ったメモに基づいてまとめた文章ですので、誤っている部分があるかもしれません。ご了承ください。)

●小倉
まずは、熊野に対する想いや感想といったところをお聞かせください。

◎久保田
日本の宗教・歴史の源に流れているものを考えると、熊野という場所は非常に重要。かつては考えられなかった事件・事故がたくさん起こっている背景には、日本人の心が弱くなっているということが言えると思います。歴史や宗教が自分達にとって何を意味しているのか教えてこなかったことで、「物の豊かさ・効率が一番」という考え方を、子供達の中につくってしまったのではないでしょうか。改めて、熊野にある古道や森、海、風といった歴史を記憶しているものから、日本人とは何かを考えるきっかけになる場所ではないかと思っています。

◎安食
私は、歴史や宗教は専門ではなく、地理学が専門。地域の活性化という視点から、熊野に関わってきました。活性化大学というものがあって、そこで9年間、熊野へ行った回数にしたら100数十回、行き来してきたことになります。もちろん仕事ということもありますが、自分でも「なぜこんなに熊野へ行くのだろう?」と思います。その答えはつまるところ、「その土地の人間の魅力」ではないでしょうか。熊野には元気な人や魅力的な人が多いのです。
今日のパネルディスカッションのテーマは「風土」ということですが、風土とは、自然があってその中に人間がいる、自然と人間が合わさったようなものだと思います。熊野には、UターンだけでなくIターンで来る人も多くいます。熊野の風土が面白い人間を呼び寄せて、それがまた熊野の風土を魅力的なものにしてきたのでしょう。
一度行ってみたらそれで良いという観光地ではなく、食べ物や人間といった魅力があるので、何度も訪れたくなるような魅力があると思います。

◎小倉
今、安食先生から出た「風土」という言葉ですが、「その土地の歴史・文化と自然が一体となったもの」という定義があります。外から見た熊野でしたが、今度は内の目から見た熊野の魅力をお願いします。

◎花尻
紀伊半島には貴重な自然がたくさんあります。日本で大峯山脈にしかないトガサワラなどを考えても、そのことが分かると思います。
巨岩や巨木に対する自然信仰がありますが、熊野における巨木を考えてみます。三重県内で第1位の巨木は御浜町引作にある大楠で、全国でも30番目くらいの大きさです。この大楠は、実は明治時代の「神社合祀令」によって、切られるところだったのですが、それを聞いた柳田国男らが働きかけて、切られるのを止めました。
さらに三重県内で第2位は飯高の方にありますが、第3位は尾鷲市曽根町にある飛鳥神社の大楠です。飛鳥神社は、王子権現と言われていた時代もあったそうです。そして4位は熊野市大又のカツラ、5位は紀伊長島にある豊浦神社の大楠。
というわけで、三重県内の巨木1−5位のうち、4つが熊野古道沿いの地域に集中しているのですが、こんな地域は全国にも例がなく、これも熊野の自然の豊かさを表しています。
シダ植物も400種類ほどありますが、珍しいものがたくさんあります。
このように貴重な植物が多いことも、熊野の自然が豊かであることの証拠です。これらの自然は、熊野信仰があって地域の中で守られてきたものです。そしてこれからも、私達はこれを守っていかなくてはいけません。

◎小倉
三者三様の感想でしたが、何か付け加えたいことはありますでしょうか?久保田先生、巨木・巨岩信仰についてはいかがですか?

◎久保田
巨樹・巨岩・名水といったものを大切にするのは、アジアの多神教的な世界に共通するものです。
キリスト教やイスラム教でも、神が生まれる場所には樹木などの自然があります。しかし、そこからスタートしたのに段々とYesとNoで2つに分けられていく。根源には自然があるので、同じだろうと思うのですが。

●小倉
熊野の風土に残されてきたものが熊野古道です。世界遺産に登録された理由や、現代社会における意義があるはずです。風土の中に残されている熊野古道の意味と、それに対して今の人・地元の人がどう行動していけば良いか、お願いします。

◎花尻
熊野古道伊勢路の1番の魅力は、石畳です。古いものは鎌倉期のもので、700年前。その場所に最初からあった根石を使って道にしているところに、当時の人の石への信仰といったものがうかがえます。江戸時代になると、石畳が2重・3重にも敷かれています。明治時代になると、ひし形に加工した石が敷かれるようになります。そうやって作られた石畳は、技術はもちろんのこと、石と人との関わりがあって初めてできることで、今の人には出来ません。
また、石畳の形は場所によって異なりますが、それは、その場所に合った作り方をしているということです。その結果、例えば馬越峠では、平成16年の大雨で街が水に浸かったときにも崩れず、高校生が峠を歩いて越えて隣町へ物資を運びました。
また、石仏や石像がたくんさんありますが、地域で飢饉があったときに作られ、人々が祈ってきたものです。悪いものから人々が守られるように、その前で手を合わせるのです。
さらに、海の展望がすばらしい。田丸から山の中を歩いてきて、初めて見るツヅラト峠からの眺め。それを見て巡礼者は、「ああ、熊野まであと少しだ、がんばろう」と思ったに違いありません。様々な表情の峠を歩いて、ふと途中の茶屋で休んでいるときに、故郷のことを思い出しながら、熊野を目指したに違いありません。
信仰があり、風土があり、その中でいろんな植物や動物が生きてきました。その中を歩く人が増えているのは嬉しいことです。

◎小倉
信仰の道としての熊野古道については、いかがでしょう?

◎久保田
熊野古道は、日本の歴史・宗教の原点である熊野の歴史・宗教を探るための舞台です。人がたくさん訪れることによって、そこにどんな変化がもたらされるのかが心配です。
エジプトには、聖書の舞台になったと言われる場所がありますが、そこでは開発行為はごくごく限られています。それに比べて、那智山へ行ったときに、滝へ行くまでの参道横に自動販売機が置かれていました。観光客へのサービスだと思っているのかもしれませんが、欧州ではそういったものは全くありません。開発が限定されているから、「これが2000年前の・・・です」と語ることができます。それと同じことで、どうやって「熊野古道であるもの」を守っていくかが大事です。ある程度の制約があっても仕方ない、と考えて受け入れていくのかどうか、地元の人は考えなくてはなりません。

◎小倉
若い人との交流も踏まえて、熊野古道とどのように接していけば良いのでしょう?

◎安食
時代の流れを考えてみると、この10年で、熊野古道をめぐる動きが劇的に変わりました。振り返ってみると、1994年に活性化協議会が出来て、ここから熊野古道の本格的な発掘が始まりました。そして世界遺産に登録されたのは2004年でちょうど10年。とてもタイミングが良かったと思います。
その時代、日本はどんな時代だったかと言えば、1994年はバブルがはじけた後で、「地域資源を生かしていくしかないじゃないか」という時代の流れがありました。そこで東紀州は熊野古道でいこうとなったわけですが、それがユネスコも認める世界遺産になったわけです。
つまり、熊野古道は「元々そこにあったものを見直した」ということで、作ったものではありません。作ったものではなく見直したものだから、人がたくさん来たのです。
何が言いたいのかというと「熊野古道は人の心を豊かにしてくれるものであるが、懐を豊かにしてくれるものではない」ということです。後者はそのままで、熊野古道でお金儲けはあまり出来ないだろうと思います。前者は何かと言うと、熊野古道というものが東紀州地域のアイデンティティになるということです。
これまで東紀州は、「三重県の南部は北部に比べて・・・」というマイナスイメージで語られることが多かったところです。そこに、プラスイメージになるものとして熊野古道が出てきました。
熊野古道が出てきた当時のことですが、古道を歩くイベントをやるのでボランティアを募集したら、すぐに人が集まりました。それはつまり、自分達の地域にも他所へ見せることのできるものがあるということで、自分達の地域に対する自信と誇りになったということです。その自信と誇りの延長が、峠ごとの保存会になっていくのだと思います。つまり、熊野古道があったことで、地域内のコミュニティが強くなったのです。熊野古道が東紀州の人たちにアイデンティティを与えて、それが人々の自信になり、地域のコミュニティを強くした、それこそが、「心を豊かにしてくれる」ということです。
一方で、観光産業としてはあまり期待できないと思っています。観光による経済効果よりもむしろ、心を豊かにしてくれるという意義が大きいのではないかと思います。

●小倉
最後に、熊野のこれからの課題についてお話ください。

◎安食
東紀州全体について言えることは、世の中の動きがどんどん変わっているということです。地理的条件が悪いとか人口が減っているからというのは、もう言い訳になりません。人口は日本中どこでも減少する社会になりましたし、インターネットを使って地理的条件を克服して商売している人はたくさんいます。言い訳をするのではなく、生き生きと元気に暮らせるようにがんばっていくことです。
熊野古道について言えば、観光産業としてはあまり期待できないと思いますので、熊野の風土を生かして、工夫してPRしていくことでしょう。「東紀州には熊野古道がある」ではなくて、「東紀州にはアレもあって、コレもあって、熊野古道もある」という感じになればいいと思います。
最後に、NHKの連続テレビ小説の中で出てきたセリフですが、「他から客を呼ぶのもいいけど、まずは自分達が楽しまなくては。」どこの地域にも当てはまることだと思います。

◎花尻
参詣道ルールの1つに、「植物はとらず、持ち込ませず」というのがあります。外来の動植物を古道へ持ち込まないように、守っていきたいと思います。また、残っている道標なども後世に残していくことが大切です。
最後に、松本峠に置いてあるノートに書かれていたコメントを2つ紹介します。
「初めての熊野、最高です。人も土地も。長生きした甲斐がありました。」
「オーストラリアから来ました。今日はいい天気、気持ちがいい。一人でいるので、感動しています。ここは特別な場所ですね。」

◎久保田
観光も大事ですが、これまでは旅行会社主導でやってきました。メシを食べやすいところ、車を停めやすいところということで旅行プランが作られていました。アピールするときに、どんな旅行が良いか旅行会社とディスカッションする場を作ってほしいと思います。そこで、地元をよく知っている人が主導して、良い旅行を組み立てていくようにしてください。

◎小倉
熊野、三重にとって、世界遺産登録された意義は大変大きいものです。人類が後世に残していくべき遺産として認められたということですから、それを大切にしつつ、地域活性化につなげていければ良いと思います。今日は、守るべきところを守っていくことが大切だということを改めて確認できたと思います。
 →フォーラムの内容を見る
  基調講演「熊野が持つアジア的意味〜花の窟を中心に〜」
  パネルディスカッション「世界遺産・熊野の風土と魅力を語る」
  感想

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