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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 熊野市百科大事典:名所・観光地 『大河内行宮跡』  < くまのしひゃっかだいじてん:めいしょ・かんこうち  >
東紀州百科事典

ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 熊野市百科大事典:名所・観光地 『大河内行宮跡』  < くまのしひゃっかだいじてん:めいしょ・かんこうち  > < 熊野市(旧熊野市、旧紀和町) >
熊野市百科大事典:名所・観光地 『大河内行宮跡』 大河内 ( おこち ) は、 紀和町 にあります。ここは、 後南朝 の自天王、河野宮達が享徳 4年 (1455) に旗揚げし仮御所を置いた所とされます。左の写真の大きな碑の裏面に彫られた、中世史の権威の村田正志の文には、自天王、河野宮のこととして次の通り記されています。

前略)
享徳四年七八月ノ頃大河内ノ行宮ニ軍兵ヲ召集シ事ヲ起サントスルノ企テアリシモ悲願竟ニ達セラレズ、長禄元年十二月二日両宮ハ共ニ凶刃ニ斃シ、事件ハ終結スルニ至リシ、史料湮滅シテ今ヤ其ノ真相審カニスルニ由ナシ、コノ地ハモト大徳寺ノ存セシ所ニシテ大河内行宮ノ遺蹟ト傳フ山間ノ僻陬ナレドモ、形勝ノ地ニシテ、カノ主従ノ本據トスルニ適セシカト察セラル
(後略)

碑文中の大徳寺は、自在山大徳寺と言い、本尊薬師如来、天和 2年 (1682) 慈雲寺 (紀和町小栗須) 二世の法室国伝の開山、明治 44年、対馬の鶏知に譲って廃寺と鳴りました。立派な碑の隣に大河内稲荷が、その裏の少し下がった平地に大河内神社があります。大河内という場所がどこかについては諸説ありますが、中世史の権威である村田博士がここに比定していることは力強いです。

行き方
車でないとやや行きにくい所です。熊野市から国道 311号を行くとします。風伝峠を越えて、紀和町に入り板屋トンネルを抜けると板屋の町です。信号を真っ直ぐ進むと右側に鉱山資料館があります。資料館を通り過ぎた所の十字路 ( 橋の手前 ) を左に曲がります。布引の滝方面または楊枝方面の道標がありますからそちらに向かいます。山の中に入ってじきに三叉路になりますから右に曲がります。

道なりに上ってゆくと、一番高い所が「夕日の丘公園」です。ここは、昔、明倫小学校があった場所です。今はこんな辺鄙な場所に何故というような場所ですが、鉱山があった頃にはちゃんと人もそこそこに住んでいた場所です。ここには展望台があり、景色の良いところです。

下りになり少し行くと、一族山の登山口がありますが、この道標は小さいから運転していると見落とすでしょう。この辺からは大河内行宮跡への道標に気をつけながら走らねばなりません。道標が見つかれば、それに従って、左に入ります。道なりに行くと左に大河内神社を過ぎて坂を上り切ると大河内の集落のある小さな平地に出ます。碑はそこにあります。ちょっと不釣り合いなほど立派な碑です。大河内の集落には民家が数軒ありますが、田は廃田になっていて、今時の山間集落の厳しさを示しているようです。

データ
参考文献
  熊野市百科大事典
その他関連情報
  なし


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